お笑いマニア日記です。
お笑いが好きな人だけ読んでくれればと思いますマスクドターキーです。
というのも、
まさかの『号泣』再結成でM-1出場!
なんていうニュースを見て、心が躍った訳です。胸が熱くなった!
いやね、
同い年なんですよ。
で、
でも、
デビューは号泣の方が凄く早いです。私は片手間でしか漫才していませんでしたが。
解散した時は非常に残念だと思っていました。
号泣が世の中に知れ渡ったのは間違いなくオンエアバトルの初期。
私は裏方に回り、数日前も書きましたがオンエアバトルは審査員してまして、号泣にはボール流したり流さなかったりしつつ、地方ローカルのインディーズでライブに出るくらい。
そりゃ応援もしちゃうものです。
言葉遊びがメインの漫才。
「食べれる」「食べられる」等の、「ら抜き言葉」をテーマにした漫才とか、
「お~いお茶」「少ないお茶」等の、「対義語」をテーマにした漫才とか。今ではもう彼らの漫才も覚えていないけれど、そういうボケは出てくるものですね、20年経っても。
ただ『号泣』にとって残念なのは、そのオンエアバトル以外の実績が全くなかったところにあります。
賞レースにも縁がなく、ボキャブラ世代に入る事も無く。
唯一、
こんなビデオテープが出てきました。
M-1が無かった時代、K-1グランプリを文字ってのホリプロライブ、『芸腕グランプリ』です。
これでは優勝してました。決勝がまさかのコントでビックリした記憶があります。
ただこれを再生する術がないのが無念・・・。VHS再生プレイヤーを誰かください!マジで!!!売って!!!
今年M-1に出るなら、過去のネタもいっぱいあるでしょうし、そもそもその当時のネタでも通用すると思いますし、
しかしながらM-1事務局が新しいスターを出すために3回戦当たりで意図的に落とすことも考えられます。
残念ながらM-1って本当にそういうところがありますし。
実力で勝ち上がって、是非とも勝手ながら私の分も頑張ってほしいと思うところです。
しかしまさか解散した当初、活舌の悪い島田秀平くんが『手相でブレイクする』なんて誰も思わなかったはずです。
ここからはさらにマニアックな個人的な話になります。
私がお笑い芸人としてデビューしたのは、1999年から2000年になる瞬間に渋谷のシアターD行われていた、ライブでした。
2000年初ものダービー、「2000年になって初○○をしよう!」というコーナーでデビューしたので、
間違いなく2000年代で初めてお笑いデビューしたのは私です!
で、
そのまだ1999年だった時間のネタで、『号泣』が出ていました。
つまり初めて会ったというか、一緒になったのはその時が最初。
本来ならば8組のネタのトーナメントに出てもらう予定だったのですが、
実はそのトーナメントは下ネタ全開の『男丼』という人がいやおうなしにMCの判断で優勝してしまうという企画でした。男丼さん以外のところはガチで、彼とトーナメントで当たった人は強制的に男丼さんがスベっても負けにさせられるという・・・。
が、
『号泣』のホリプロがそれを良しとせず、
「そんなトーナメントには出せません!」
と断られたのです。
なのでしっかりガッツリ好きにネタをやってもらったわけで。私は1999年時点では裏方。
先日松本人志さんのドキュメンタルを見て、ザコシさんが一回目に優勝した時の助っ人で登場して一瞬で服を脱ぐ、「男方!女方!」ってやっていた人(チャーミングじろうちゃん)が、どうしても男丼さん本人に見えるのですが、
SMA関連の方教えてください。世の中繋がってるのね・・・。
そんな号泣の思い出。
マジでM-1頑張ってほしいと思っております。
14/16覚えているけど、2組だけ分からない・・・。
今でも現役の人がいますね。なつかしや・・・。
成子坂・・・;;
お笑いが好きな人だけ読んでくれればと思いますマスクドターキーです。
というのも、
まさかの『号泣』再結成でM-1出場!
なんていうニュースを見て、心が躍った訳です。胸が熱くなった!
いやね、
同い年なんですよ。
で、
でも、
デビューは号泣の方が凄く早いです。私は片手間でしか漫才していませんでしたが。
解散した時は非常に残念だと思っていました。
号泣が世の中に知れ渡ったのは間違いなくオンエアバトルの初期。
私は裏方に回り、数日前も書きましたがオンエアバトルは審査員してまして、号泣にはボール流したり流さなかったりしつつ、地方ローカルのインディーズでライブに出るくらい。
そりゃ応援もしちゃうものです。
言葉遊びがメインの漫才。
「食べれる」「食べられる」等の、「ら抜き言葉」をテーマにした漫才とか、
「お~いお茶」「少ないお茶」等の、「対義語」をテーマにした漫才とか。今ではもう彼らの漫才も覚えていないけれど、そういうボケは出てくるものですね、20年経っても。
ただ『号泣』にとって残念なのは、そのオンエアバトル以外の実績が全くなかったところにあります。
賞レースにも縁がなく、ボキャブラ世代に入る事も無く。
唯一、
こんなビデオテープが出てきました。
M-1が無かった時代、K-1グランプリを文字ってのホリプロライブ、『芸腕グランプリ』です。
これでは優勝してました。決勝がまさかのコントでビックリした記憶があります。
ただこれを再生する術がないのが無念・・・。VHS再生プレイヤーを誰かください!マジで!!!売って!!!
今年M-1に出るなら、過去のネタもいっぱいあるでしょうし、そもそもその当時のネタでも通用すると思いますし、
しかしながらM-1事務局が新しいスターを出すために3回戦当たりで意図的に落とすことも考えられます。
残念ながらM-1って本当にそういうところがありますし。
実力で勝ち上がって、是非とも勝手ながら私の分も頑張ってほしいと思うところです。
しかしまさか解散した当初、活舌の悪い島田秀平くんが『手相でブレイクする』なんて誰も思わなかったはずです。
ここからはさらにマニアックな個人的な話になります。
私がお笑い芸人としてデビューしたのは、1999年から2000年になる瞬間に渋谷のシアターD行われていた、ライブでした。
2000年初ものダービー、「2000年になって初○○をしよう!」というコーナーでデビューしたので、
間違いなく2000年代で初めてお笑いデビューしたのは私です!
で、
そのまだ1999年だった時間のネタで、『号泣』が出ていました。
つまり初めて会ったというか、一緒になったのはその時が最初。
本来ならば8組のネタのトーナメントに出てもらう予定だったのですが、
実はそのトーナメントは下ネタ全開の『男丼』という人がいやおうなしにMCの判断で優勝してしまうという企画でした。男丼さん以外のところはガチで、彼とトーナメントで当たった人は強制的に男丼さんがスベっても負けにさせられるという・・・。
が、
『号泣』のホリプロがそれを良しとせず、
「そんなトーナメントには出せません!」
と断られたのです。
なのでしっかりガッツリ好きにネタをやってもらったわけで。私は1999年時点では裏方。
先日松本人志さんのドキュメンタルを見て、ザコシさんが一回目に優勝した時の助っ人で登場して一瞬で服を脱ぐ、「男方!女方!」ってやっていた人(チャーミングじろうちゃん)が、どうしても男丼さん本人に見えるのですが、
SMA関連の方教えてください。世の中繋がってるのね・・・。
そんな号泣の思い出。
マジでM-1頑張ってほしいと思っております。
14/16覚えているけど、2組だけ分からない・・・。
今でも現役の人がいますね。なつかしや・・・。
成子坂・・・;;